わたしとアトピー①

雑記
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小さいころからアトピーでした。

小学校時代、木造のボロボロの校舎が新築の校舎に建て替えられたころから酷く悪化したように記憶しています。
いわゆる塗料が肌にあわなかった、シックハウス症候群というものだったかもしれません。
地元の皮膚科に通ってステロイド剤で治療しても全くよくならず、液体窒素を湿疹に当てる治療をしてもよくならず…
当時はインターネットも普及しておらず、情報源が口コミと雑誌、書籍くらいだったため、「アトピーに効く」とうたわれるものをあれこれ試していました。
自然食にプロポリスなどの栄養食品、木酢液、入浴剤…
大きなボトルで届く謎の水を風呂上がりに浴びる…つめたくて冬場は辛かった記憶があります。
今思えばあれはなんだったのでしょう。どこから買ってたんでしょう。
いわゆるアトピービジネスとよばれる、実体のない治療法だったかもしれません。
それでも藁にもすがるようにこれらの治療を試したのは母の親心であり、必死にわたしのアトピーを治療しようとしていたのだと思います。それだけになんだか苦しい…。
現在のようにネットである程度の信憑性を確かめることができたならまた違ったかな、と思うのですが。
今更どうしようもありません。とにかく、当時はなんとか広がる炎症を収めようと親子で必死になっていました。
学校では同級生の男の子からアトピーをからかわれたりもしましたが、担任の先生が厳しく注意してくれ、幸いいじめを受けるようなことはありませんでした。
ただ、このころは写真に写りたがらなかったこともあり、あまり写真が残っていません。

隣県の名医の元へ

小学六年生の時。書籍から知ることとなった隣県のアトピー治療の名医のところへ通院することになりました。
車で2時間ほどかけて到着したその病院は漢方薬や食習慣、生活習慣の改善よる根幹治療に力を入れており、全国から重度のアトピーの患者が訪れておりました。
このころわたしのアトピーは顔にまで広がり、病院で包帯で顔をぐるぐる巻きにされて帰ったのを覚えています。
あまりの有様に母親も私も嘆き、帰り道の途中で人目を気にして包帯を外しました。
包帯を外した先もアトピーで目立ってしまうのですが、それでも包帯巻きの状態よりは幾分目立ちません。
これは治るのだろうか、と悲しみにくれました。

とにかく帰りたい入院生活

さて、入院が決定しました。暇つぶしに、と漫画を何冊も買ってもらいました。
当時は苦しい記憶が多いですが、この時ばかりはウキウキと選んだのを覚えています…。
わたしは母親にべったりの子どもだったので、親元から離れるのがとても寂しく、毎晩めそめそと電話をかけていました。
3日に1回ほど両親に見舞いに来てもらっていましたが、とにかく家に帰りたかったです。
この病院は心のケアにも力を入れており、ストレッチの時間があったり温泉やカラオケの施設があったりしました。(なぜか日課のストレッチのBGMがB’zオンリーであり、いまでもB’zを聴くと入院生活を思い出してしまうのです…)
そのほかに定期的にカウンセリングが行われたりしました。
子供であったわたしには「箱庭療法」と呼ばれる心理療法が行われました。
これは砂が敷かれた「箱庭」にあらかじめ用意された多種多様なフィギュアを選んで並べ、心の中を表現し、それをセラピストが分析するというものです。
当時マセていた…というかひねくれていた…というか、可愛くない子どもだったわたしは家に帰りたい一心で「家に家族が集まっている」様子を箱庭に作りあげました。早く帰りたい、帰らせて…と心のなかで唱えながら。
また、「木を描いてみてね」というわかりやすいテストにも、「わたしの心には異常はないんだ」と言わんばかりに実りの多い豊かな大木を描いてみたりしました。
本当にいやな子どもです。
そして入院生活で特筆すべきは食生活。
乳製品や砂糖は徹底的にカット。玄米に野菜根菜中心の超自然食の入院食でした。食後には激マズの漢方薬。
小学六年生の私、とにかくジュースやお菓子が摂取したくてたまりません。
外出許可を取って散歩する際に隣の薬局で飴を買ったところ、病院に報告されて叱られました。
さらに遠くに散歩した際に缶ジュースを買い、半分ほど飲んだところで「ここまで入院しにきて頑張ってるのになんで自分に甘いのか」と後悔し、べそをかきながら道端に流して捨てたこともありました。
この食事制限が本当に本当に辛かったと記憶しています。
全国から入院しに来ている同じような重症の患者さんたちと交流するなかで自分だけではないと励まされながら一ヶ月頑張りましたが、結局少しマシになった程度で退院することになりました。

入院生活の振り返りと、それから

いま振り返ると、ストレスが大きすぎたのかな?と思います。
親元を離れたことも、望む食事がとれなかったことも、学校に行けなかったことも、とても辛い記憶として残っているので、
当時のわたしの体にも何かしら影響があったのだと思います。
その後は数ヶ月に一度ほど通院しながら、山のように漢方薬をもらい、土瓶で煎じて飲む毎日…。
本当にまずいのです。数度、飲んだふりをしてこっそり流しに捨てたこともあります。
私にはこの漢方のありがたみが最後までわかりませんでした。
(お母さんごめんなさい)
(余談ですが、これほど漢方や自然食、心理療法に力を入れたクリニックでしたが「脱ステロイド」治療は行っておらず、適切にステロイド剤は使用していました。いま調べても悪評などは見受けられず、クリニックの先生は体質に合う人には救いとなった間違いのない「名医」だったのでしょう。わたしの体質には合わなかったという話で…)
つづきます。
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